Dear Father of Heaven 〜音楽好きなあなたへ No.2〜

なんだかんだと物議を醸し出した東京五輪が閉幕した。日本人選手の大活躍が目を見張る大会だったことは誰にも否定できない。そして、当然ながら、五輪の是非は別として、日本国民の大勢が、たぶん自分も含めて大いに興奮したことだろう。政府や五輪主催者側も、それを盾にとって、五輪の大成功を公言している。自分は、申し訳ないが、五輪の開催前から、五輪の開催によって、少なくとも人々の心は高揚し、それに呼応するかのように、人流は拡大し感染爆発が生じるだろうとは思っていたというか、必然の至だと考えていたので、今、この時期に来て医療がほぼ崩壊し、国民の生命の安全が保持されなくなることは自明の理と思っていた。その挙句、無理矢理に自宅療養を命じられた患者の人たちからも、突然の重症化により緊急搬送を余儀なくされても、搬送先たる入院先が確保できないという、なんともこれだけ医療が進んだ先進国とも思えぬ事態に至っている。本来、重症化のリスクがある以上、自宅療養させること自体があり得ぬことだが。この状況に、一人気を吐いてくれていたのが、私の住む地域のすぐ傍で開業されている、医師の倉持先生だが、こんなちっぽけな私の気持ちを、オピニオンリーダーとしての立場で、胸が爽快になる歯に衣着せぬ言い様で代弁してくださった。溜飲が下がる思いがしたが、一方で、有名な科学者でありながら、自己の感情に任せて非論理的な意見を振りまく方もいる。そして、両者の意見は堂々巡りで噛み合わない。

しかし、何故に、こうも人間は、両極端に考え方が分断してしまうのだろうか。そして、その結果、感情を持つ人間は、相手の意見を強引にでも踏み躙ろうとするのだろうか。そこには、自分が相手よりも優れているのだという、「選人思想」とでも言うものが宿っているのだろうか。もしそうだとしたなら、相手方の意見を尊重して和議を結ぶなんてこともあり得ないだろうし、そして極論すれば、自然界の掟と同じ弱肉強食が支配することにもなる。

そんなこんなを考えていたり、ただ思考するだけで行動にも移さない自分の弱さなど、様々な現実に対峙すると、「虚無」という観念に襲われる私である。

そんな折、ネットのYoutubeを観ていたら、「うん。」と目に止まった、竹原ピストルのMV。この人、どこかで見たことあるよな。ちょっと、視聴してみるか。そして、観た感動の「Youth」。なんか、心の底が振動し、何か「今からでも、なんかやってみなよ。」と、ボンと背中を押された気がした。

「そこで見てたら、さっきまで、なんか俯いていたけど、今は、前向いて笑顔も見えるじゃないか。何かいいこと見つけたかい?」

「いやさ、なんか人間て、口じゃいいこと言ってるけど、結局は自分のことしか考えてねえさもしい奴だと思ってたんだけど、たまたま、この歌聴いて、このMVで、この人の笑顔見てたら、なんか元気が出てきてさ。」

「そりゃ〜良かったじゃないか。元気ださなきゃ、生き続けなくちゃならないんだからな。」

「イントロの4ビートが、高校時代のあの頃を思い出させてくれて、まず胸が高鳴ったよ。」

「そうなのか、あの頃、初めて買ってあげた合格祝いのステレオで、お前毎日ロックをがんがん鳴らしていたもんな。」

「そして、心に染み入る、この直情的な歌詞もいいよ。どんな平凡な人間でも『Only one』として輝けるはず、そうすれば遠い向こう岸へも辿り着けるはず。」って、そんな歌詞がね。

「そして、Only one同士がお互いを尊重すれば、本当の『人間』社会を築けるはずだって」さ。

「よく言ってたもんね。人は生まれるから人間になるんじゃない、『人の間』でいろいろ揉まれ、そして、お互いを尊重し合えるようになるから、『人間』になるんだって。」ね。

「そんなこと言っていたっけ。まっ、お前のなんかの役に立つならいいことだ。(笑)」

 

 

 

 

 

Dear Father of Heaven 〜いつも平和を愛したあなたに問いたい〜

 先日の熱海での土石流、亡くなられた方々にはご冥福をお祈りする、としか述べようがない。そして、今もなお、行方不明者の捜索は続いている。これまた、早く発見されることを願うしかない。自然の猛威には、どうしたってちっぽけな人間は、到底立ち向かい得るはずはない。

 転じて、到底立ち向かえきれない猛威は、果たして大自然だけであろうか。日本では今、平和の祭典、オリンピックの開催が迫り、コロナ禍との攻めぎあいの中、どう折り合いをつけるか四苦八苦しているが、世界を見回すと、相変わらず、貧困、飢餓、差別、紛争、弾圧などなど、様々な問題が山積して、一方、平和な日本の社会で、のうのうと生活している自分が、本当に申し訳ないという気持ちにすらなってくる。

 そして、また、今日、新たなニュースを目にし、何もできない不甲斐なさと、噴火するような怒りを感じる中、両腕の拳を汗ばむほどに握り締める自分に気がついた。

 またも、超大国中国が、その圧倒的な権力と武力を背景に、香港に対しその巨大な体ごとのしかかって来た。中国が、無理矢理に作らせた国家安全維持法なる、とてつもない鋭い毒針を持った悪法で、民主派の議員達を辞職に追いやり、その猛毒で思考すらままならぬ状態にしてしまったのだ。なんて奴らだ!卑怯極まりない、極悪非道な仕打ち。先日、リンゴ日報を廃刊に追い込んだことでは事足らず、自分たちに逆らう人間達はことごとく、抹殺排除するということだろう。そんな中国の傍若無人な振る舞いに対して、他国は「内政干渉」を盾に何も口出せやしない、国連すら見て見ぬ振りの状態同然だ。そこで聞きたい。

「天国のお父ちゃん、こんな勝手振る舞いが許されていいはずがないよね!」

「その通りさ、正義感の強い、お前の気持ちはよく分かるよ。でもな。」

「でもなって、やっぱり、地団駄踏んで、我慢するしかないのかよ。」

「手の届かないものや事柄って、どうやったって出てくるさ。ちっぽけな人間は手を出せないものが。」

「ちくしょう。悔しいよ。こんな理不尽が、この世の中でまかり通ることに、そして、自分ではな〜んにも役に立てることが、見つけ出せないことにね。」

「もし、形ある身なら、せめてお前の隣で、肩を叩いてあげるのにな。仕方がないさと。」

「届けと願う届かぬ思いは、きっとそのままに。なるがままに、Let it be,Let it be…」か。

Dear Father of Heaven 〜自由を愛したあなたに聞きたい〜

今日、香港の「リンゴ日報」という新聞が、約25年の歴史に涙色の幕を閉じた。香港市民の心の拠り所として、市民の知る権利に寄与する報道の自由の旗頭として、その功績を築き上げて来た。その凛々しい大木が、中国の押し迫る台風によって、根こそぎ倒された。最後の新聞を手にしたいと行列をなした香港市民の心の淵を思う時、「何故、こうなる!」と自分の中には怒りどころではない感情が込み上げて、熱いものが物が滲むくらいに流れ落ちた。自由の中にどっぷり浸かり、その本当のありがたみも解らない自分は、本当に「自由」を求めて、闘い続けて来た彼らの心に、せめても近づきたいとこれを記している。

 親愛なるお父ちゃんよ。「自由」をいつも心の中で問い続けていた、俺の大好きなお父ちゃん。俺の問いに答えてくれ。

「自由があるからこそ、人間だろう。自由が奪われたら、生きる屍だ。そうだろう?」

「そうだろうな。でも、強大な権力には抗えないかもな。」

「そんなこと言うなよ。なんとかなると言ってくれよ。諦めなければなんとかなると。」

「それが理想だな。でもな。世の中には、どうにもならない存在もあるかならな。」

「どうにもならない存在だろうが、歴史はそれを覆して来た事実があるだろうが。」

「そうだな。確かに、人々の思いが厚い壁を叩き壊した歴史はあるかもな。ベルリンの壁崩壊とかな。」

「そうだろう。だったら、香港にだって、それが出来て然るべきだろう?香港の人達だって、このまま頑張れば、陽が差す時も来るとさ。」

「そりゃ、そうだな。でも、相手が大き過ぎるな。思い出してみろ。あの天安門事件を。中国は、自国民を戦車で踏み潰したんだぞ。それなら、香港の人達を、どうにかすることなんて簡単なことなんじゃないのか?」

「現実に目を向ければ、そうなるかも知れないよ。でも、俺は、香港の人達の未来に一筋の光が差すことを信じたいだけだ。遠い日本からだけど、頑張れ〜とエールを送り続ける。」

「(笑)」

「何笑ってるのさ?」

「いや、そういう気持ちを持ち続けてあげることこそが大切なんじゃないのか。香港の人達のことをずっと忘れずに思い続けてあげることがさ。」

「そうか。なるほど。ありがとう。いくらか気持ちが落ち着いたよ。」

「そりゃ、よかった。話したい時はいつでも呼んでくれ。話し相手なるからさ。」

「うん。」

ミャンマーだって、軍事政権に対して、国民が必死になって抵抗している。自由を求めて。

俺も、ここから、抵抗の意味を込めて、三本指を突き立てよう!頑張れ、心は一緒だと。

Dear Father of Heaven 〜いよいよ開業したよ〜

今は亡き親愛なる掛け替えのない尊父へ。

 

先週の木曜日の5月27日、行政書士の新任登録式が会館で催され、公務員として数十年勤務し、この歳になって新人の行政書士として第2の人生に船出したよ。登録式会場では、前職の公務員時代の親友だった人と二人だけで、県の会長から心構えも含めた訓示を受けて身が引き締まる思いがしたけど、金色に輝くバッジを胸にスーツの袖を通した時には、初めて社会人になったあの頃のように、これから懸命にこの職務に携わるんだという、何か一種むず痒いような、でも、晴天の下で清々しい空気を吸った、新鮮な気持ちにもなったよ。

式が終わった後、彼と二人で、珈琲館という少し小洒落た店で、美味いコーヒーを片手に、この店お薦めのパンケーキを頬張りながら、久しぶりに今後のことをお互いに熱く語ったよ。こんなに定年後にワクワクした気持ちになれるとは思いもしなかったよ。ゆったりと余生を過ごすのが幸せなのか、死ぬまで働き通すのが幸せなのか、誰にも答えは出せないかと思うけど、貴方が、半身不随を克服して、亡くなる直前まで、本業のまんじゅう作りをやり通す一方で、東日本大震災の被災地の方々に寄贈するんだと、大好きな趣味の絵画製作にも本腰を入れ続けた姿を見続けた自分にとって、やはり、死ぬまで働き続ける方が性に合っているのかも知れないと思ったよ。

自分が大学時代に、毎日、授業を抜け出したり、代返を頼んだりして、友人達と遊びまくっていた頃、不意に将来の漠然とした不安が過ぎった時に、本屋でたまたま目にして手に取って読んだ本(著者は、それ以来の自分の尊師、評論家の亀井勝一郎氏)に、こんな一節が書かれてあったのを思い出すよ。「私は、幸福の反対が不幸だとは思わなくなった。幸福の反対は、怠惰というものではないか。」とね。お父ちゃん、これ難しいよね。でもね。自分は、やっぱり、この意味、こう思うんだよね。幸せの青い鳥は、結局逃げて行っちゃうと言うけど、青い鳥は、飛び立ってもなお、一生懸命頑張っている人間には、幸せになるための、何か種みたいなものを残してくれていってるんじゃないかってね。そして、その種に毎日水をやり続ければ、きっと綺麗な薔薇が咲くんじゃないかってね。仮に、自分の生きている間に咲かなくても、自分の子供達が咲かせてくれるとかね。おまえらしいなって。そりゃそうだよ。俺はあんたの息子なんだからさ。じゃ、また、話そうよ。

行政書士#大学時代#東日本大地震#青い鳥#幸福

Dear Father of Heaven 〜自由と我が儘とは紙一重?〜

大型連休だから、みんな気が緩むんだよな。

コロナ禍の中、都知事や府知事の他各県の知事達が、今回の大型連休はステイホームで過ごして欲しいと呼び掛けているが、人の出はあちこちの観光地でいっこうに減る気配がないよ。そして、毎年必ずと言っていいほど交通事故などで死者が出るね。その点、そもそも出無精な自分は、ましてやコロナ禍でもあることから、家にいて大好きな映画鑑賞をしたり、食より好きなドラムを叩いて、何も不満を感じず過ごすのがご存知の通り定番だよ。今の時代は、曲を演奏してYoutubeにアップできるので、自分にとってこんな至福の時はないしね。だから、ある意味では、それで満足できている自分は、安上がりな趣味を持って〜幸せだな〜と思っているよ。もし、自分も、例えば、旅行が趣味だったりするアウトドア派の人間だったら、皆さん同様、この陽気に誘われて少なくてもドライブとか出かけていたに違いないからね。まあ、1年以上もマスク着用と色々な生活上の制限を受けてるんだもんね。ただだよ、気が緩むのは仕方がないとして、周囲の人達に迷惑かけ過ぎるのは如何なもんかと思うけどね。どうだんべか?

自由を謳歌するのと我が儘に振る舞うのは違うよね?

そういえば、あなたは、自慢げに笑って言ってたよね。小学校から飛び級で高校の予科に入る入学試験で、「自由と我が儘とはどう違うか。」って作文で、夢中になって自分の意見を書いたとね。自分の思うように好き勝手に行動するのが「自由」なんじゃなくて、常に周りの他人を思いやって時には自分の行動に制限をかけねばならない、その不自由なのが本当の「自由」なんだってね。だから、自分の欲望に任せて自由気ままな行動を取るのは、真の「自由」ではなくて、それは「我が儘」に過ぎないんだとね。あなたのその言葉は、いつも自分の心の内にあったよ。そして、何かする時の行動指針になってたんだよ。人間は、何においてもバランス良く振る舞うのが、ベストかどうか分からなくてもベターなんだとね。ありがたいと思って肝に銘じてたよ。それは、こうしていても変わらないよ。そう思ってニュースを見ると、春山登山に行って遭難そして滑落の後に死亡という記事が飛び込んでくる。「なんでだ〜っ。」て思っちゃうよ。正直、少し寒気が緩んで来るこの時期、雪崩が起きたって不思議じゃないだろうから、「死にに行くようなもんじゃないの?」って、疑問符しか浮かんで来ないぜや。本人達は雪山でも自信があったんだろうが、でも、こうなる可能性があったことは当然に予測できたんだから、「やっぱ無謀だったんじゃねーがい。」とね。その上に、警察の捜索隊だって危険に晒してしまうんだから、「これは自制すべきことなんじゃねーがい。」。家族だって悲しむ結果になったんだしね。いくら好きでもこんな行為は、「やっぱ、自由な行動じゃなくて、まさに我が儘そのものなんじゃねーがい。」。どう思うべが?

Dear Father of Heaven 〜音楽好きなあなたへ〜

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今も元気で、爪研ぎしてるよ。



絵が得意だったけど、音楽も好きだっね!

 「日本のルノアールになるんだ。」と言って、頚椎損傷の後遺症で不自由となった利き腕ででも、懸命に絵を描いていた姿を思い出しては会いたくなります。今では使われなくなった主人のいない古いアトリエですが、あなたが利用していたままに保存してありますよ。時々覗いては、まだいるんじゃないかという錯覚で幻影を見る気になる時があります。あなたの描いた数々の油絵は、今も大事に保管してありますよ。自分が毎日練習するシンセドラム部屋にもいっぱい飾ってあるので、いつも近くで笑っている気がします。そんなあなたは、音楽も大好きだったね。それも、歳の割には演歌だけではなく、ロックだろうがなんだろうが、自分の気に入った曲は、「それいいな。」と言っては、歌えるものは、自宅のカラオケ設備で一緒に練習したよね。イエモンのJAMなどは、歌詞もメロディもグッとくると、難しい曲なのに声枯れするくらいに何度も歌ったね。中でも、スピッツのロビンソンはお気に入りだったね。

スピッツは結成以来30年以上も同じメンバーなんだぜ!

 自分も20代にバンマスとしてロックバンド組んでいて数年間活動していたけど、その後アマチュアであっても音楽志向の違いとか、女性メンバーを巡ってのトラブルとか、諸々のことで存続できないという結論で解散した経験があるので、プロとアマの違いはあるとしても、同じメンバーで何十年も続けて来られること自体に、敬意を払うというか、感服するよ自分は。そんな中で、待望の大ヒットとなったのがロビンソンだよ。メンバーはもちろんのこと、故郷の親族や友人も含め関係者一同嬉しかっただろうね。それから、多分紆余曲折を経ながらも、現在までこうやって同様の活動をしているのだから、頭が下がることだと思うよ。継続は力なりという諺があるけど、その継続の裏には、当人達の並々ならない努力があると思うよ。ボーカル&ギターの草野さんなど、ねちこいファンから色々と強烈な嫌がらせを受けてたみたいだしね。「努力は買ってでもしろ。」って言ってたけど、継続に伴う努力は、必ず報われるのかもしれないね。努力の足りない自分には耳が痛い言葉だけどね。

反面で違うんじゃないかとも思う時があるけどね。

 「(買ってでもした)努力が必ず報われる(とは限らない)。」とは思えないことが、この世の中にはホント溢れていると感じるしね。挙げたら切りがない事柄の中で、自分が今心痛めている事のひとつに、ミャンマーの国内紛争があるけど、あの軍によるクーデター下で、軍政に反対する民衆が、戦車や機関銃といった圧倒的な軍事力に対して、数ヶ月に亘りプラカードを持って素手で立ち向かう姿を目にすると、「どうしたって勝てないだろう、本当に彼らに明日はあるのか?」という気になってしまう。これなど、いくら努力しても到底力及ばない、決して報われる事のない事態なのではないかと感じてしまうよ。誰に対しても愛情注ぐ平和主義者だったあなたはどう思いますか。自分は、彼らのために少しでも何かできることはないのだろうかと、この平和に慣れきってしまっているとも思える日本にいて、無力ながらも日々考えていますよ。でも、この小心者の自分には、せめてもツイッターで、彼らの行動に支援のメッセージを書き添えるぐらいしか、考えられません。こんなんでも少しは役に立つんだんべか?何か良い答えがあったら、自分の夢枕にでも立って教えてね。それじゃ、最後に、あなたの愛した家猫のミケの写真を載せておくね。

初学者ブログの初回投稿

新参者だから、簡単に自己紹介をすっぺか。

今年で還暦(+1年)のおっさんです。昨年3月末に公務員を定年となりましたが、その後1年ポッキリだけ再任用して働き、この3月に任期満了で退職しました。何か、定年の節目までは頑張ろうと気張っていたせいか、この再任用期間の1年はホントしんどかったです。モチベーションがどうしても上がらず、このままでは大変なドデカイミスを犯してしまいそうだったので、辞職を決意しました。今は、第2の人生として、法務事務所を近々開設する予定です。組織から離れた現在の心境は、本当に束縛がなく自由で、清々しささえ感じる次第です。まさに、これぞ「自由業」というところでしょうか。そんな訳で、毎日を時間に制約されずに開業に向けて、老体に鞭打って更なる知識の習得に勤しんでいる傍ら、昔ずっと書いていた紙ベースの日記を思い出し、懐かしい気持ちも込めてこのキーボードを打ってます。ちなみに、私の趣味(というより生きがいか…)はロックドラムで、「ドラムにもたれかかって死ねるなら本望」というぐらいにドラムフェチです(それと腕前とは別ですけど…)。尊敬する偉大なドラマーは、伝説のロックバンド、レッドツェッペリンの今は亡きジョンボーナム(愛称ボンゾ)です。20代に組んでいたバンドでは、メンバー皆仕事そっちのけでのめり込んでいたことを思い出します。今もスリーピーバンドでドラムを担当していますけど、コロナ禍で活動できないのがもどかしい限りですね。そんなことで「お腹は中年、心は青年」の私ですのが、どうぞ末永いお付き合いをお願い致します。

 

ご挨拶方々、今後のブログの道筋などを書くべがな。

 

いきなりだけど、これから「天邪鬼ブログ」で邁進したい。言い方悪いけど、これは周りに惑わされない自分に正直な感想を、徒然なるままに書いていきたいという意味でっせ。まあ、公務員やっていた時から、「それはおかしい!」などと、しばしば上司に噛み付いてきた自分だから、これはもう性分なんでしょうがない。お陰で出世とは無縁だったけどね(笑)。でも、そんな時には、6年前に他界した尊父の口癖が思い出される。「船はな、大勢の乗客が甲板の片側に押し寄せたら沈んじゃうんだぞ。」とね。だから、なるべくHatena Blogの名のとおり、色んなことに疑問符抱いて、気が向き次第書き連ねたいので宜しくです。今後は、写真も貼り付けますね。